皆さん、こんにちは。
発達障害ラボ室長の車重徳です。
さて、こんな質問を頂きました。
「うちの子は小学校低学年です。宿題を見ていると時々間違いがあります。宿題の答えの間違いを指摘されると怒ります。どうしたら良いのでしょうか。」
というものです。
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間違い指摘すると怒るというのは結構よくある相談です。
言ってしまえば、指摘されて嬉しいってあまりないです。
指摘されると嫌ですよね?
しかも、いい事であればまだしも間違い指摘されると嬉しいとなるころはないかなと思いますがいかがでしょうか。
1つあって、この人にであれば指摘されてもいいという人がいるのであれば、その人に指摘してもらえばいいと思います。
小学校低学年であれば、ご自宅で宿題見るしかないのかなと思うのでなかなか難しいのかなと思います。
指摘されるのが嫌であれば、間違えていようが指摘しないのも1つなのかなとも思います。
学校で間違いだと自分で気づくのが一番だと思います。
指摘しないというのも僕はあっていいんじゃないかなと実際思います。
そして、指摘ではなくご自身の意見を言います。
間違いと言われるとやはり嫌なので、「こういうところはこうした方がいいと思うよ。」とか、「でも、ままだったらこうするかな。」、「ままはこっちだと思うな。」とかって言います。
「そこ違うよ!」って言われると、やはりだれしもカチンと来ます。
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例えば、子供が九九間違えたとします。
「確かにね。」と言って一回受け入れましょう。
「なるほどね。」「そうだよね。」でも構いません。
「ちょっとママもやってみようかな。ママは答えこっちが出たな。どっちが正しいのかな。」といった形で伝えるといいのかなと思います。
そのため、間違いというのは誰しも指摘されると怒ります。
だから、間違いを指摘というよりも「私だったらこうするよ。」とか「ママはこう出たな。どっちがあってるのかな。」という形でお互い確認してみるといいのかなと思います。
僕好きな本で、死ぬこと以外かすり傷という本があります。
別に間違いを指摘されたって、本人がそれに気づかない限り治りません。
僕は性格ひねくれていますから、多分周りの人からすると嫌なところもたくさんあると思います。
でも、自分ではどうにもならないからそれで生きています。
それで、食べていけないかというと食べていけます。
お仕事はあります。
だから、死ぬこと以外かすり傷であれば、九九言えなくても何とかなるという話です。
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ただ、お勉強できないと困るという風に考えると、了見狭いのかなと思います。
もし間違いを受け入れて自分で直せるようになってほしいと思うのであれば、自己肯定感を上げてください。
自己効力感でもいいです。
自己肯定感と自己肯定感は違います。
自己効力感は根拠がなくてもやればできるという根拠のない自信のことです。
そうすると、指摘されたときに自己肯定感が低いと、自分の人格も否定されたように受け入れてしまう場合もあります。
人格は否定していないし、自分自身更により良い結果を出すために、よりよい性格、未来を紡ぎだすために、「ここって、こう改善した方がいい。」と前向きにとらえるために自己肯定感があるといいです。
そして、その自己肯定感は後天的です。
後天的に醸成することができます。
指摘されても、受け入れられるようにしていきましょうという形に考えていければいいのかなと思います。
年齢的に小学校低学年というのが、1,2年であれば自と他の区別というものがついていません。
それが身につくのは、発達心理学上2,3年生くらいで醸成されます。
そのため、自分と他人の区別がついていなくて、そもそも客観的に物事を見ることができていないはずです。
だから、指摘されると怒ります。
客観的に物事見れるように成長してから、行動起こすというのもありです。
しかし、僕が思うに大人になっても間違い指摘されると怒る人います。
僕も嫌です。
外見はおっさんで、中身は子供です。
一番手が付けられないタイプです。
間違いを指摘するのではなく、私はこう思うかなという形で促すといいかなと思います。
いかがでしょうか。
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発達障害ラボ
室長 車重徳