皆さん、こんにちは。
発達障害ラボ室長の車重徳です。
さて、こんな質問を頂きました。
「発達障害の子が、リコーダーなかなかできない。できないから嫌いになっちゃって、やらなくなったらどうすれば良いのでしょうか。」
というものです。
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先日、リコーダーについてのお話をさせていただきました。
僕の認識の甘さというのか、よく知らなかったところもあるので、中途半端な回答になってしまったかもしれません。
ごめんなさい。
そこで、こういう状況なんですよっていうのをいただいたので、お話しさせていただきたいと思います。
それについてなんですが、リコーダーは小学校3年生で学びます。
先生たちは、1年間リコーダーができるようになるために、あの手この手で指導します。
夏休み中の宿題もあり、その後の学芸会でも音楽場面で演奏することが多いです。
できるだけ多くの子を一斉に活躍できる場として、便利な教材なのです。
子どもたちは1年間頑張り、頑張り表みたいなものをもらって、家庭でも練習します。
なので、リコーダーができないと、そのあと置いてきぼり感を味わうことになります。
だから、先生たちも一緒に教えてくれます。
アドバイスありがとうございます。
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さて、その子が発達障害っていうのを本当に理解しているんですかってことなんです。
よく身体の方と比較されたりするんですけれど、あれも、わかりやすい例えとしてだからしょうがないのかなとは思いますが、お子さんがリコーダーに取り組めない子って、発達障害なんです。
変な言い方すると、普通の子なのでしょうかって話なんです。
だから、わかりやすく言うと、 目が見えない子に、この映画いいよ、見ようよ。一緒に見ようよって言っても、いや、目見えないんですけどっていうのと一緒です。
足が不自由な子に、走ろう、散歩しよう、楽しいよ、ランニングスッキリするよ。
こんな風に話しますかって話なんです。
発達障害が原因で、または巧緻性って、ある程度感覚統合の観点でトレーニングできるんですけれど、トレーニングをしたその最終の結果がリコーダーみたいな感じなんです。
だから、トレーニングをするんだったら、まだいいと思います。
しかし、フレンチで言う最終的な味付けみたいな盛り付けだけ学んでも、 その基本的なところが成り立ってなければ、僕は無理なんじゃないかなと思うんです。
だから、普通の子であれば、やればできる子なのであれば、僕はやらせていいと思うんです。
だけど、発達障害ってことは、できない可能性というか、できないんじゃないのっていう前提が先に立つのであれば、 それやらせるのって、だってできないんだよねって話です。
だから、できないんだからやらせないじゃなくて、他にやれることは何なのかじゃないのかなって僕は思います。
あくまで僕です。
学校の方針として、足がなくても歩けと、目が見えなくても見ろって言うんだったら、それはもうしょうがないと僕は思います。
しかし、活躍させる場を作りたいのであれば、活躍できる分野に行かないとダメなんじゃないかなと思います。
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例えば、僕はもう中2の途中から学校行ってないです。
不登校です。
運動も嫌いです。
未だにできてません。
だから、太ってきちゃってやばいと思ってます。
ですが、無理です。
なので、違ったことを考えて今動いています。
例えば、ホットヨガだったらちょっと行けるかなとか。
または、なるべくエレベーター使わずに階段を使おうとか。
違うことだったらできるかもしれない。
最終的に目標は痩せることです。
今のお話だとリコーダーが目標になってるんです。
活躍できる場を設けることが目標なのであれば、 なんだったら活躍できるのかを探すべきじゃないのかなって僕は思います。
目的が目標になっちゃったら、できることができないことになるんです。
僕はそう思うんです。
だから僕は痩せることが目標なのであれば、食事制限かけるとか色々あると思います。
ジムに行くことが目標であればジムに行くなんですが、そもそもジムは行けなかったんです。
僕、お金だけ払い続けてて1日も行かなかった。
しかも、仕事が忙しいと自分で理由をつけて今日は眠いとか。
だから、 これはもう考え方の違いか、または方針の違いなのかななんてやっぱり思っちゃいます。
だから、目的は何なのか。
そしてその目的を達成するためにどうすればいいのかっていうようなことに焦点を当てないとダメなんじゃないかなって僕は思っています。
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リコーダー、頑張ればできるようになるんだったらいいんです。
でも、頑張っても、頑張っても、頑張ってもできない可能性がある。
それが発達障害じゃないんですかって僕は思います。
目的は、発表会とかで自己肯定感をつけることなのであれば、なんだったら自己肯定感がつくのか。
1人の教員の力でできることは限られているので、どうしても、うまくいかないこともあるかもしれない。
できる範囲があるのであれば、もう全生徒にリコーダーをやらせるというのが目標なのであれば、どうしてもリコーダーに取り組みたくないASDの子は、もうその学校が合わないってことなんです。
変えられるんだったら変えましょう。
学校全体を変えるのは無理なのであれば、もう転校するしかない。
目的が楽しい学校生活なのであればです。
目的がその学校に在籍だけすることなのであれば、もうしょうがないです。
だから、目的は何なのか。
そこを僕だったら考えるかな、なんて思ったりします。
できるようになった方がいいのは百も承知です。
僕だって運動できるようになったらいいなっていうのは百も承知です。
体力もっとつけたいなっていうのは思います。
でも無理なんです。
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僕の場合は、根性がないせいだなとは思います。
もう何十年も根性ない僕として生きてきたので、無理です。
嫌なことすぐ逃げます。
だから今があると思います。
嫌なことをずっと取り組み続けてたら鬱になります。
人はやっぱりできること、できないことがあると思いますし、得意なこと、そうじゃないことが僕はあると思います。
あって当たり前だと思います。
なぜそれを全部揃えなくちゃいけないのかなってやっぱり思ったりします。
尚更、発達障害っていう診断が出ているのであれば、できないっていう、できない可能性があるっていうのは、ある意味わかってるんじゃないのかなって僕は思ったりします。
だったら、それに固執するってどういうことなのでしょう。
繰り返しですけれど、学校の方針がこうですと変えられません。
もうしょうがないんです。
それは諦めるしかない。
諦めて違う方法考えるしかないのかなって思ったりします。
これが僕の見解です。
いかがでしょうか。
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発達障害ラボ
室長 車重徳